私自身、社会人2年目の時にうつ病を発症し、休職を経て退職しました。
発症した日の動けなかった時の光景は、今でもはっきりと覚えています。
朝、起き上がろうとしても起き上がれない。体が動かないのです。
「私、仕事行きたくないから起きれないフリしてるだけなんじゃないか」
「ダメだ、ダメだ、動かなきゃ」
ベッドに横たわったままTVを見つめ、体が動かないことにパニックになりながらも、とにかく誰かに連絡しなければという思いで手元に置いてあった携帯で母へ電話しました。
「お母さん、体が動かない。。私、仕事、行けない。」
母が私の一人暮らしの住まいに到着するまで車で2時間ほどであったと思うのですが、この時ずっと動けないままであったと思います。
母に電話をし終えた直後、職場にも出勤できない状況であることは連絡しました。
到着した母に、私は
「お母さん、私ダメだった。頑張れなかった。」と涙ながらに言い、母に支えられながら、私はそのまま実家へ戻ることになりました。
およそ6年にわたる、うつ病との闘いが始まったのです。
休職となり、実家で過ごす日々は言葉にならないほど、何とも言えない辛さで。。
ずっと家で何もしていない私に両親は何も言わず、温かい目で見守ってくれていたのはすごく恵まれた療養環境であったと思います。
そんなとてもありがたい環境であったにも関わらず、私は毎日が地獄のように感じ、常に「もう消えたい」と思っていました。
休む時間は十分にある。
けれど、心が休まっていなかったのです。
とにかく、何をするにも気力が、ない。
働いていないことに対しての後ろめたさ。
周りの同期から、社会から、置いて行かれている孤独感。
シフト勤務であるため、シフト変更等で職場に迷惑をかけてしまっているという申し訳ない気持ち。
どれくらいで戻れるのかという焦り。
一方で、戻ることの怖さ。
一日中ネガティブな感情が渦巻いていて、抜け出すことができないのです。
私の気晴らしが少しでもできるようにと、両親は週末に日帰り旅行に連れて行ってくれたのですが、全くリフレッシュできない。
旅行先で散歩をしていた時、私は両親にこう言いました。
「連れて来てくれてすごくありがたいのだけれど…全然気分が晴れないんだ。
なんて言うか…ずっと出口の見えないトンネルの中を歩いているみたい。」
全然気分が晴れない。
これが6年間、私の心の奥底にずっとありました。
休職して半年後、心療内科の主治医のアドバイスもあり、私は退職を選びました。
その後は様々な状況を経て、発症からおよそ1年後に別の病院へ再就職したのですが、就職後もこのすっきりとしないモヤモヤしたものが根底にあり、突然湧き上がってくる猛烈な不安感に度々悩まされたのです。
なぜ出口の見えないトンネルが続いていたのか?
うつ病から脱却できた方法とは?
次回「うつ病からの脱却」でお話したいと思います。